今月の真言 平成27年10月13日 (外郎武 撮)

今月の真言 平成27年10月13日 (外郎武 撮)

夜参り真言  平成27年10月13日

 

拝殿

いづくにかいづくにか幸あらん。幸を求めるのは外に求めるのではなく己の心の裡に求めるべし。

必ず光が見えるであらう。それこそ玉響の導きである。玉響の導きに従ひて三輪の庵をくぐるが良い。

解説

自分が幸いになるように道を求める時、外に目標を持ちがちだが、根本的は裡にこそ求めなさい。

地位や名誉や金といった外の形だけの達成に捕われるのではなく、仕事の形を通して自分の裡なる本当の自分を求める。形だけ求めることを目的にするのはよくない。仕事を通じて自分の内面の自分を求める。それが自分の心と神の関わりを強く認識することである。それこそが最終的な大きな目的になる。

玉響の導きというのは、これを見つけるコツさえわかれば難しくはない。心を鎮めて目を閉じて三輪山を思い浮かべると、関連するものが見えてくる。その中に光っているものが出て来る。その光に心をよせていると、そちらの方向に道が見えてくる。

行き先は神の懐の中、神としっかり縁を持つことこそ大事、そこに到る道を歩むことが修行のプロセスである。その道とその道を歩んで行くことが大事である。

神宝社

ここでは真言はなく「梁塵秘抄」のごとくという言葉が響いてきた。(11月3日のまほろば献詠祭の巫女舞に繋がるか)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。 舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん、踏破せてん、真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん 『梁塵秘抄』の一節より

 

狭井神社

三輪山の奥なる狭井の扉を開けよ。

三輪の闇は母なる躰と同じ。闇に身を任せて憩ふべし。憩ふべし。

躰も心の不調和と関はりを持つ。大事に致せ。躰は心を載せる舟である。労はらなければならぬ。憩ふべし。憩ふべし。

 

解説

三輪山の神の御元に入る扉は狭井にある。三輪の闇は母なる身体と同じ。密教でいう胎蔵曼荼羅。母胎。母親の鼓動に包まれた闇。躰は心を乗せる舟であるから大事にしなければならない。

怪我をするのは 注意深さが足りないからである。

心と身体は不即不離だから、心のストレスが身体に影響を及ぼすことを留意しなければならない。

山で見込まれると苦を伴い、悟るためにギリギリまで苦に直面させられることがある。しかし困難な時にこそ心が進化するのである。

苦を苦と考えず、苦から何を学び取れるのか考えることが修行の根本であ