今月の真言 平成26年4月15日
夜参り真言 平成26年4月15日
「拝殿」
卯月は花鎮めの祭りの時。よくぞ来た。大いに祈るがよい。
心の穢れ、身体の穢れ、病の穢れことごとく祈り祓ふがよい。
その方たちの身体も病も運もすべては心より始まると
覚えるべし。心の穢れ祓ふべし。ことごとく祓ふべし。
拘泥りもまた穢れであると覚えよ。
解説
花鎮めの祭りは狭井と大神2社で行っている。崇神天皇の頃、疫病が流行ってこれを鎮めるための祭りとしてはじまり、これが京都の今宮神社に伝わって「やすらい祭りとなった。花の咲く頃流行る疫病へのまもりをする為に、忍冬と百合根を神饌として供える。私、根本が薬学博士の学位をとったのも55歳の花鎮めの祭りの日であった。それまでは昭和大学では漢方では学位を出さないといっていたので、三輪の神のかわりにいただいたようなものである。
病気を治すうえでも、運をよくする為にも心の穢れをとり、流していくことである。心に溜まったストレスが身体に突然出てくるものである。根本的には肉体的な穢れも心の穢れからであることが多い。だからそれを徹底的に流すようにしなさい。今宵三輪の杜にひらめくままにめぐって、満月に照らされた満開の桜と川村京子さんの篠笛という3つ揃った情景に出会った。
源氏物語を読むと満月の夜はやたら読経している。それは満月の読経が浅草寺の4万6千日ほどの効果があるのと同じである。今宵のように満月と満開の桜と篠笛の三拍子が揃ったことは三輪に長く来ているが類まれなることである。
これはすべて偶然がいい方向に重なった例であるが、人の心は弱いから神はこのようにご褒美を見せてくださるのである。だからぐずぐずしないで真言を実行しなければならない。先延ばしにしないで即実行する。
「神宝社」
神宝の箱には鍵が掛かってはおらぬ。ただただ
濃き霧が箱を見えなくしてゐる。霧こそ祓ひ、
目の曇りこそ祓ふべし。
自分の神宝は己が力で開けるべし。見ることである。
穢れを祓ふことである。拘泥りを流すことである。
しからば自ずと見えてくると思ふべし。
音霊 言霊を響かせることにこそ心をおくべし。
大きく変はる時が来てゐる。魂を揺り動かせ、震はせて、神に向かひて、山に向かひて言霊こそ歌とすべし。
歌は祝詞である。神に通ずるものと覚えよ。
うまい まずいを越えて言霊を響かせるべし。
今こそ響かせるべし。
時は迫ってゐる。
地蔵が動いてゐるぞ。東都へ。東都へ。
解説
神宝社は三輪に来る縁のある人にそれぞれの才能を付加している。それを開けなさい。鍵は掛かっていないが、ただ濃い霧がかかって見えなくなっている。目の曇を取って霧を祓って自分の才能を見つけて、開きなさい。「自分には才能がない」というのが霧であり、自己否定そのものが穢れである。心の穢れ、身体の穢れにも繋がってくるが、自分の中に否定的感情が入るのが全て穢れである。
今夜のように歌の話が出るのは久し振りで歌の世界で何かが起ころうとしている。恐らく世代交代が近づいていることと思われる。
今のうたの世界は八十代の人がトップになっている。
このような業界はなく早晩いろんなことが変わってくる。だから歌をしっかりやるように。歌をやるときの根源は言魂である。山に向かって神に向かって魂を揺り動かすような言魂を発しなさい。神が動けば当然人も動く。人の心を動かすような歌を響かせて歌いなさい。そこにこそ根本がある。技術的なことがあったとしても人の心を揺り動かすのがいい。
神そして人の心を揺るがせるような言魂を発する。
歌はもともと大祓いの祈詞であり、短歌形式で自分の気持ちを上手い下手を越えて作ってそれを神に捧げるもの。だから才能のあるなしではない。
地蔵が動いているとあったが、三輪の若宮社(もともと大五輪寺あるいは大三輪寺ともいっていた)に観音像と地蔵菩薩像があった。観音像は現在、聖林寺の
十一面観音として有名、地蔵菩薩は明治の廃仏棄釈の折、法隆寺に行った。以前話したが、父光人が平成4年に亡くなって20数年だが、父の患者の霊能者(8年前死亡)の娘さんが平和堂にきて霊能者の遺言を今頃になって伝えた。それによると霊能者である母親は百済観音のところに魂を鎮めている。傍に地蔵菩薩が立っているが、そこには根本光人の魂が宿っている。その地蔵は百年に一度世に出るが、三輪から来た地蔵と聞いて驚いたのである。三輪神社での調査の結果確かにこの地蔵菩薩は三輪から出たものであった。その菩薩は平安時代に作られたもので、三輪にきたのも他生の縁であったのである。ここにいる皆も自分の意志で三輪にきていると思うかもしれないが、どこか深い三輪との縁があって、ここに集ってきているのである。
その地蔵が今東都に動いているということは単純に言えば東に向かっているということ。相馬さんの話に寄れば芸大の美術館で法隆寺展が(4月24~6月26日)にあることと繋がる。その中に地蔵菩薩が入っていると思われる。題は「祈りとかたち」である
(仙台では法隆寺展を終えている。)
地蔵が動いているということは地蔵の特質の慈悲に繋がる。
菩薩の中で最も位が高いのが地蔵菩薩であり、装飾品
が少ないほど偉い。昼の姿は閻魔大王であり地蔵菩薩と背中合わせになっていて表で騒いで裏で救済する
という説もある。展示の題は「祈りとかたち」である。。地蔵の一番の徳は慈悲とゆるしである
「狭井神社」
いづくにも、いづくにも罪あらん。花鎮めの時は
心と身体の穢れを祓ふ時。
よくよく己の身体、心の穢れを祓ふべし、祓ふべし。
あらためて、あらためて心と身体をすみずみまで
見るべし。心せよ。心せよ。
解説
罪はどこにでもあって拘泥りも罪、これを全部祓って身体も心も祓いなさい。そして自分の心をよく確認しなさい。どういうパターンが自分の中にあるのか
それを見て流すように。そういうことが運がよくなる
第一である。払えなくても祓おうと努力するということが神が認めて下さることである。うたの才能有無に拘わらず努力していけばよい。それを神が評価して下さる。